2018年10月29日月曜日

バザール2018終了

黄金町バザール2018終了〜あっという間の33日間+準備期間。今年はゆっくり作品見る時間がほとんどなかった。記録撮影でざ〜っと見る程度で時間がないのがかなり残念だった。だからあまり他の作家さんらの作品を語れるほどの感想もないのだが、それでも印象深い良いアートイベントだったと思う。インスタントコーヒーはセンスが良くてカッコイイ現代アートたるものを思想、表現力、実行力を全て兼ね備えたアート集団だと思うし、スピークは独創性豊かな世界観と表現力を持った現代の芸術家だと思った。他の作家さんたちも皆独創性がある豊かな人たちが多かったんではないだろうか?
自分の作品に関しては少ないけどコアな声を聞くことができて、そこが非常に嬉しかった。メイン作家に選ばれなかったことや、展示会場の兼ね合いもあってカウンター的立ち位置で挑んだが、それは正解だったと思う。今年は作品ばかり作った年になった。また黄金町ではあまり出していなかった自分のダークな面を作品に投影できて、それにコアな共感を貰えたことは収穫だったと思う。来年こそ脚本を書き上げて映画制作にさらに踏み込めるよう努力する。

psychocinesis


展示会場 URAラウンジ
D.N.A. 
photogenesis

2018年10月12日金曜日

脚本進行メモ3

バザールでは執筆中の映画の制作報告会を開こうと思ってたが、やめた。まだ脱稿してないので、脱稿したらバザール関係なくやろうと思う。
春、そして今回と、将来の長編映画のための実験映画を作ったけど、こんなことは初めてのことだった。脳内構想している映画と実験表現で具現化された作品世界を(その共通性、ギャップ共に)自分自身で垣間見て、本編を如何にデザインするべきなのか、考えさせられた。先日、久しぶりに数時間篭って脚本に徹してみたが、当初構想していた映画とは完全にかけ離れている。たぶん、それで良いのだ。ある意味、自分の構想ほど詰まらんモノはない。自分を裏切ってとんでもない方向に行かせてそこで必死に立ち回ること、こっちの方が自分でも気づかなかったとんでもない己にぶち当たることがある。
psychocinesis (10min 2018)

2018年8月2日木曜日

脚本進行メモ2

7月初旬に感じてた脚本の歯がゆさみたいな問題は大まかなところ解決した。メインの三者の立ち居地を変えて、その中で一番脇だったキャラを軸とすることで一気にスッキリした。ストーリーも単純になっていままでなんとなくもやもやしていたストーリー上の題材も脇に追いやることもできた。これまでは「こういうハナシに決めたから、なんとかこの問題を越えよう」とある意味技術的に処理していた気がする。結果なんとなく不自然で、更に言いたいことから離れていた気がする。不自然てのは要するに自分の言葉でなくなっているワケだ。新たになったストーリーをこれからまたやり直さなきゃならんけど、でもこれで良い気がする。仕事で離れていてちょっと不安であったが、一旦離れることで逆に良かったのかもしれない。昨日半日、今日半日でなんとか基本ストーリーはできたので、明日も仕事はやめにして書こうと思う。それで波に乗れば良い方向に行く気がする。

2018年7月8日日曜日

迷い 脚本進行メモ1

成果展があって一旦脚本を休んでからいろいろ仕事が重なって全然書けてないんだが、短編として出来上がった「1/3の発光」の作風と、本編の長編映画の作風とのギャップ、そしてまたその間に今回のオウムのことも含めて改めて作品の方向性とかを考えさせられている。自分の中にあって避けられない、いわばドストエフスキー的問題、というと、また胆略的言い方だが、それはやはりあって、今回もそいつと対峙せねばならんのかな?と・・。映画を単に映画的にやったほうが良いはずだろうにな。内容のそれこそ何分の一かはその要素があるから余計揺れているワケだ。どちらにせよオレの映画はオレの映画になるだろう、小規模でやるからこそ、やれる作品があると言い聞かせてやるか・・くそ、ハラ立つな~この歯痒さ。まあそういう時こそ観客の心情を考えるか。それが迷いの一番の突破口、なのかもしれない。










「1/3の発光」(11min 2018 作 吉本直紀)
photo by Yasuyuki Kasagi

2018年4月20日金曜日

映画実験工房

現状察するところ、お仕事映像作業は結構重いけど納品まだまだ先が一件、残りは9割8~9分完成で先方からのインサートデータ待ちが二三。そんなワケで昨日は長者町のスタジオ0033編集室でこれまで手付かずだったPCデータ管理/整理作業を早朝から15時過ぎまで掛けてやり、その後黄金町の映画実験工房に移動。黄金町バザール2018公募作品の企画を念のため考え、その後は長編脚本執筆に専念する(これを書いてて思い出したが、もうひとつ練らなければならない企画があった!~それは本日考えよう)。
バザール公募作品をなぜ「念のため」か?というと「これだ!」ってのがいまのところないからで、本来なら映画に専念するつもりだったが、せっかく目の前に翳されてる物を見ないのもな、という貧乏根性~プラス、落選でも毎年企画は練ってるので脳ミソの鍛錬ため~~さらに一昨年暮れくらいからなんとなくアート作品への自分なりの方法論が掴めてきた感覚があるので、やはり試してみたいというところだろうか?
それから年度替わりに作業場を一時的に設けることとなってここ数日通っている。「StavrosFilm映画実験工房」~または「スタヴロ映画実験工房」と呼称。黄金町アート界隈では一番集中してる場所で、京急の電車や人の行き来も間々多いほうだが、いまのところ意外と思った以上に集中できている。執筆中の脚本も決めどころが見えてきたり、結構有意義な時間をすごしている。

が、そういうときに限って仕事がなくて、そっちの意味では現在困窮次第に金欠状態。そんなワケでオシゴト映像(記録、PV、VP、などなど)お待ちしてます、どうぞよろしく(笑)

2018年2月19日月曜日

脚本執筆~オリジナルな表現に向けて

脚本の書き方をちょっと変えてみようと思う。これまでのやり方だとただの商業映画になりそう。いまの脳内イメージできちんとした本を書くと、どうも他の監督に撮って貰っても構わない感じになる。現場での自分流の演出を想定した台本作りにシフトしないと「しっくり」こない~完成する映画の雰囲気がもう既にこの時点から始まっているワケだ。このしっくりが大切でこれですべて決まるといっても過言じゃない。この感覚がいままでの作品で一番上手く画面に現れているのが「ぽかぽか~」かな?(笑)あと、「吸血」のラストの流れ。あと「nowhere」もそうだな~特に冒頭。
要するにもうこの時点から自分流の映画作りにしていかないといけない。黒澤が、監督になるなら「脚本を書けないといけない」と終始言ってたけど、あれをただそのまま倣うと商業映画体勢の映画になって、たとえ監督が違って違う映画になっても現場のスタッフはそれなりの映画を想定して作ることになるような気がする。インディペンデントで映画は、ある意味もっと違う方法論があるだろうし、それを模索することがオリジナルな作風を作ることになるだろうと思う(ゴダールはそうしてた一人だ)。これまでいろんな映画の作り方を実験してきたが、この映画はそういう経験を総決算してもう一段上のものにしたい~そうすることが作品をインディペンデントでありながら他の長編作品と変わらぬモノにのし上らせるエッセンスとなる気がする。

2018年1月28日日曜日

あるオカルトチックな

今朝は、ある人との関係性を表した霊性と暗示が混ざった夢、それから自分の深層心理的夢と二つ見た。また昨日は最近では最も純度の高い霊的夢で、鮮明度体感度もそこそこある不思議夢だった。どれも違った意味合いで現状を問うた夢だった。霊的夢はただの暗示的夢と違って夢占いでは殆ど答えを得ることはできず、見た時~体験した時の印象のみでその意味を考査しなければならない。けれども大抵、霊的夢は意味がどうのというより、体験そのものが衝撃的で霊性が高いほど異様な鮮明度と色彩、さらに実体感があって、その例で言うと一度夕焼け空に浮かんだ三日月を見ていたらその表面でなにやら生命のようなものが蠢きだし、やがて月そのものが急激に変化し見る見るうちで巨大化したその光景のあまりの壮絶さに興奮を越え、恐怖に襲われて目を覚ましたことがあった。いったい何故そんな体験をしなければならんのか良く意味が判らない。暗示夢、予言夢のようにその後に現実界で事象として結びつくようなことには殆どない。