2016年12月26日月曜日

「Kumagusuku~Attraction」体験

「Kumagusuku~Attraction」体験
今日は最終日のサイトA企画展示会「Kumagusuku~Attraction」をはじめてお客として見てきた。はじめて、というのは実際はウソでオープニングでも客だったが、人が多かったので集中度に欠けてたのだ。

初冬の、雨があまり降らない時期に行われたのはまず正しかったと思う。空間表現の傾向が強い展示会は大抵天気が良いほうが気分良く伝わってくる気がするから。入ってすぐのオブジェのような”装置”の配置のされ方も建物の構造との関係性が丁寧に考えられており、空間調和が十分成立されている気がした。三つの”装置”には黄金町の三人の異なるアーティストの作品が一点ずつ置かれている。絵画、オブジェ、映像という異なる存在は、これらもまた均一な空気を乱さないカタチで一見、空間との静謐な関係性を保持しているように伺える。が、その印象は実際には外から得るもので、一度その”装置”に身を据えて作品を「体験」すると、周囲の空間性の穏やかさとはまったく異なる時空が放射されていることに気がつかされる。それらは作品の様々な面、素材、制作方法、意図、さらには作家本人の苦悩や人格にいたるまで様々な次元で考えさせられる。それは否が応にも目の前にあり、一種の圧迫感さえ覚えるほどだ。これはまさに作品を「体験」する”装置”に他ならなかった。映画館で映画を見ている体験と少し似ているかもしれない。だが、さらにハッとさせられるのは、見ているこちら側の人間だけが勝手な感受性で感じている、ということに気付かされる、ということだ。目の前の作品は、少なくとも三つのうち二つは、まったく微動だにしない。この作品と観客(観察者)という関係性からようやく「なぜ人は作品を見るのか?見ようとするのか?」などの根源的な疑問に「体験的に」立ち返ることができる。これはおそらく企画者、または制作者の本来の意図とは違った方向性なのだろう。あるいは当の作家本人らもそこまで考えてもみない事かもしれない。だが、アートとは本来そういう存在である、ということをこれが無制御な”装置”であるが故、自ずと語りかけてくる・・。

”装置”制作者である矢津氏は同じ発想で京都でホステルを経営している。そちらの記録映像も上映されており、それを見た印象は、ちょっと行って一日でも「体験」したくなる、感じ良いものになっている。正直言って、当初宿泊費が少し高いかな?とも思った、が、今日の体験を経てまったくそうではない事に気がつかされた。
なぜ人は作品を見るのか?またアート観察者は一体どこまで深く作品に関与するべきなのか?という根源的な問題を考えさせられ、同時にアートや文化に無関心な社会にこの「体験」は必要かもしれない、とまで思わせてくれた。矢津氏の今後の活動に期待したい。
https://www.koganecho.net/…/even…/event-exhibition-1999.html