2016年3月12日土曜日

展覧会「黄金町レビュー」の初日を見た

展覧会「黄金町レビュー」の初日を見た。参加作家全員の個性が散りばめられ、同時に自然に調和し合った豊かな展覧会だと率直に感じた。昨年開催された成果展にも同様の感触を得たが、一年経って運営側も場数をこなしたからだろうか、今回はより色濃く、多彩な展開となっている。
個人的には椎橋作品が一番感銘を受けた。真白な小部屋の壁全面にレシート紙のような古惚けた細長の紙が貼られ、ボンヤリ掠れたカーボンインクがなにやら会話を映し出している。床には居心地悪い角度でモニターが置かれ、余命間も無い人の映像が流れている。タンパクで朴訥なナレーションはえらく下手、だが、またそれもその部屋の醸し出す密度と調和している。作品が取り上げたテーマ自体は決して珍しい類ではない、が、椎橋氏の紡ぎ出す全体の空間密度とテーマとの駆け引きは、計算され、独特な観察眼と知性を微細に感じさせた。
韓国の映像作家ユ・ソンジュの短編映画も短い時間の中でユニークな展開を見せていた。前半はロベール・ブレッソンの「スリ」を彷彿とさせ、人工的なズーミングやパンも意図したものなのか、不思議で軽快な映画運動で展開する。鈴のインサートショットがまた良い。後半部の書籍と言葉遊びの発想も、インスタレーションの展開も加味されており、大変工夫豊かで上手く作られていた。
他にもノイジー映像をレースでオブラートして自身の内部に潜む屈折感を日記部屋?のような空間で表した台湾のヤン・ユンシュン作品も楽しめたし、片岡純也+岩竹理恵のペアの作風世界も一見別世界のようで交差し合っているようにも伺えた。二人は異なる媒介でありながら同じ日常を見ているのだろうか…。またスザンヌ・ムーニーの光と影の陰陽をとらえた漠とした被写体としての黄金町風景。葉栗翠の錆びて汚れきった街の汗滴る灰汁摂りのようなコーヒーカップのぐじゅぐじゅと、その導入部を飾るやるせ無い室内の壁に描かれたカラフルな壁画。あくまでも洗練されたデザイン様式でこの街を前進するアーティスト ユーニス・ルックの拘りの神秘性。そして土偶〜巨漢女を日々延々と受胎し続ける鍛錬のアーティスト 楊珪宋の奇ッ怪で毒素たっぷりな中華サイケデリック子宮内宇宙の焼物など、他にもまだ未見な作品あるが、面白い作品群が結集している。
この展覧会は、今月21日祝日までやっている。来週末は黄金町レジデンスアーティストのオープンスタジオもありツアーも組まれている。時間のある方は是非お越し頂き、この街で作品制作に専念する芸術家たちを見に来て頂きたい。


2016年3月8日火曜日

メモ 01


映画には舞台のような場や空間の力はない。映画の力は、むしろフレーミングとかそれらを繋ぐモンタージュの構成か。グリフィスの発見は後頭葉への平面的空間形成のそれで、やがては映画において物語を伝達する役割さえ担う。エイゼンシュテインは視覚的物体認識へ直接的または逆説的に訴えかける。でもいわゆる「映画になった」っていうあの瞬間は、もっとべつの、人の記憶や体験知の奥に潜むなんらかのプリミティブな共通認識を所有する領域を刺激する。映画が面白いのは、それらが時に創り手さえ気が付かぬ瞬間にやってくる一種の不安定さでもある。