2010年8月5日木曜日

結局、社会運動・・・?

ブログの放置現在にとどまらず~(笑)、下の文はずいぶん前に書いて下書きのまま放置されてた。

「先日友人といろいろと深く話し合っているうちにーむろん判ってはいたし、そのつもりではあったのだがー、結局、社会運動として一つ一つ認識したうえで、打ち立てていかなければ、今までやってきたことも、これからやっていくことも、なんの意味もない、という完全確実な現実に突き当たってしまった。
判ってはいたが、どうにもこうにも新左翼運動後生まれの僕らは(笑)、その踏ん切りが、カッコ悪過ぎてつかないところがあったし、活動がそれに伴っていれば、べつにイイじゃん!?とも思っていた。社会全体が、本質的な意識の高まりを重んじていたら、こんな初歩的な問題に悩むことなどなかったはずなのだが、権力は巧みに民衆を弄んできた。この四半世紀のあいだにオレ達は確実に「言葉」を失った。むろん、いまさらゲバ棒を持って突っ込もうとは思わない。大切なのは文化運動としての意識を高めることで、その心構えがあるかないかでこれからの未来の色彩が変わっていくはずだ。「言葉」は確実にゲバ棒よりも強く、社会的真理を広めていくことができる。
思っていることを、これからはもっと発信していかなければならない」

ここまで。
つまり、いわんとすることは今も変わってないな(笑)。

全共闘世代への不満と現若者への不満は殆ど同じくらいで、一方は威張り過ぎだと思うし、もう片方はゴマすりしすぎ。 文化運動は完全に止まっちまって、現若い世代のとりあえずの開拓はクラブムーヴメントと2ちゃんくらいなんではないかと、真面目に思ってしまう。あとはどこ覗いても先輩たちの警戒の目が行き届いている。俺たちの文化はできるだけ文字を小さくして迷路のような暗い怪しげな街の片隅を利用するほか行き場所がなくなったのか!? いまさら天皇制だか、反権力?ましてやインターナショナルだ?みんなすべて時代遅れで胡散臭い。そんなのもう判りきった記号論でしかないワケだ。それをやると勘違いした爺ィたちが喜ぶくらいで、それで点数稼いだって俺たちにはまったく、なんにも、関係ない。それに恐ろしいことにほぼ全ての領域がなんらかの組織の掌中に収められちまってる。もうやれることは新しい言葉か通貨でも開拓するしかないのかもしれないぜ(笑)。

こんなテンプレートされた世の中の何がオモシレェってのか!? 戦後最大の権力の功績は文化と生活を完全に掌握してテンプレート化したことに他ならない。この生活の平安そのものがエセ民主主義の権力構造であるってことを俺たちは気がつかなきゃいけない。奴らはこうすると便利だとか、ああすれば居心地が良いとかそんなことで俺たちを本質から目を逸らさせているワケだ。