2010年11月11日木曜日

ようやく全てが終わる

『ファラヲ』から1シーン
これまで10年以上インディペンデント映画活動を続けてきて始めてようやく肩の荷が下りたナ、という気持ちがする・・。つまり、とても開放された気がする、ということかな?
『吸血』『ファラヲ』という2本の作品は両者まったく作風の違った作品だ。3年の時が流れ2本の中篇作品を完成させ、ここで一旦映像作家として自分がどういう立ち居地にいるのか?じっくりと考えてみたい・・。
『ファラヲ』を完成させて改めて痛感したことは良いも悪いも観客との「ズレ」。この「ズレ」は一体なにが原因か?これを日常生活を通して改めて検証してみたい。果たしてこの「ズレ」は健全なものなのか、あるいはまだまだ修正の余地があるものなのか?この答えが自分なりに掴めない限りオレはたぶん次の作品のスタートが上手く切れないというか、曖昧なものになるような気もする。
ま、こういう一種の言い訳は、殆んどカッコツケではあるんだが・・・(→始めちゃえばたいがい映画がついてくる)。
そういった気持ちを抱えながら思わず接点を感じて信さんのサイトに「題名」と題し題名についてついつい書いてしまった。つまり、作品に挑む前に「精神的とっ散かった状態」を一旦整理したいワケだ。制作前に作品のイメージを題名というひとつの観念に置き換え、自覚することで作品が力強くなるんだろうと・・・。
次の作品の『Air...』はもう題名は決まっており、すで作風がロックオンされたみたい・・。 『ファラヲ』ポスプロ終了直後からアイデアが浮かび始めていて、アイデアの方はこっちの精神の整理などまったくお構いナシに活動している(笑)。ひと通りのアイデアが浮かんだら、一度それらをアウトラインできちんと構成してみようと思う。むろんいままでもそうしていたが、少しアプローチを変えてみたい。もう少しドラマ脚本を書く時みたいに映像化された時の状態を具体的に捉えたい。アブストラクトなシークエンスを集合させ「明確に」画の向こう側で接点を持たせたいワケだ。 
・・と、書きながらあまりいつもと変わらんとも思うのだが(笑)

おそらく、その接点の意図が、より日常的であることによって、観客との「ズレ」を狭め、さらに意図的に突き放すこともできるだろう、と思惑する。が、これはちょっと観念的過ぎるな、どうやんだよ、って純粋な疑問。  ま、でも試みは捨てないでおこう。

2010年10月20日水曜日

ついに、ファラヲ。。

いやはや、twitterのせいでまったくブログが進まない。書きたいテーマというか、書かなきゃならないテーマというか(しかし一体なんの使命で?—笑)は、あってもつぶやきが多いと考えが纏まらずじつに散漫になる。で、ようやく書く気になったのは、CGのレンダリングでメインPCが使えないから、というまったく仕方のない理由。
ま、なんにせよ、ようやく『ファラヲ』を公開することになったのでちょっと『ファラヲ』について書こう。『ファラヲ』の撮影はほぼ『吸血』と変わらない時期に一日だけ行われた。たしか『吸血』主演の柿澤亜友美ちゃんとの初顔合わせで、プロデューサーの永松さんと3人で池袋であった日の翌日か、またはその数日後が撮影日だった(※過去ブログチェック—07年7月27日)。自由に撮る試みだったので柿澤さんにその時「明日良かったらおいでよ、適当に出番考えるからさ」みたいな相当緩いノリだった。ていうか、そもそもこの撮影自体、じつに滑稽なカタチで始まった。ダンサーの池田理枝ちゃんからメールが来て「下北のタウンホールが一日空いたからただで使えるよ〜」みたいな、そう滅多にないある意味、オイシーハナシだった。北沢タウンホールといえば聞くところによると抽選日に早朝から並んで抽選券を得、さらにそこから高い倍率で選ばれなければスペースを確保できないという難儀で人気の劇場。公共施設ではあるけれど一日基本5〜6万のレンタル費が掛かる。これは逃したらもう二度とないハナシ、面白いかも、と、何をやるかはあとで考えるとして即答で「オレなんかやる」と返信。
最初は06年にやった『M退治』をもう一回やるかと思ったが、日数的にも無理と判断し、じゃあ、なんか撮ろう、遊びで、みたいに切り替えた。で、M退治のメンバー(天才ナカムラスペシャル、中村達也、福永幸平、光田圭亮、与西泰博、& メンバーじゃないけど怪優ホリケン。〜幸平くんは日程合わずX)をメインにさらっとアウトライン台本を書いた。が、さらっと書いたままほったらかしてしまったので(!)、前日の夜に改稿し、出演者には当日の朝台本を渡した。出演者は他に黒テントの遠藤良子、山中弘幸村井美波子を呼んだ。ま、長台詞なんかないから大丈夫だし、またそういうノリでやったほうがとりあえず上手くいくだろう、という狙い。念のため撮影日の1〜2週間前にロケハンしておいたのでそれが功を奏した。ひとつだけ出演者が丸一日は無理ということで香盤が大変だったが..。そのため全シーン撮影は無理ということになり残りを別日撮影ということにはなったものの、毎度の早撮り戦法(!)で無事撮影終了。

が、ここから長い時を経ることになった。
07年夏に撮影し、その後追撮シーンを2回。ほぼ2年越しでやった。

ま、単に『吸血』の完成が長引いてしまったためなんだが、作品が纏まるまでの時間というのはやろうと思えば、いくらでも短縮できるものではあるのかもしれない。ただ、結局他に尻を叩く人間もいない。主演者にとってみればたった一日の撮影だし、フ〜っと流れて行った思い出、と化しているのかもしれない。ただ、こちらはなんとなくいつも落ち着かない状態であるけど、気持ちが赴かなかったり、他の作品制作や単純に生活そのものなどで、日々が過ぎて行ってしまった、そんな感じだった。
ようやく今年の3月7日にCG箇所は未完なものの、全体像を掴める初号を阿佐ヶ谷よるのひるねで公開。ほぼ関係者のみで観覧し、とりあえずの評価は得たので、ホッとした。皆に公開は6月辺りでよろしく〜となって、無事終了。

が、人生とはなにが起こるか判らない。その上映会が終わって3月末の誕生日が過ぎた頃、親父が脳梗塞で倒れてしまった。そのためまたしても公開が伸びることに。数ヶ月の看病と諸々の手続き関係を引き受け(むろんその間、別件の映像制作もあった)、でまあ、ようやく、父の状態が落ち着いたので公開を決意したワケである。現在もCG箇所を制作中。ちょっと初日に間に合うか心配だけど、あとはフル回転で作るのみなのである。

『ファラヲ』は個性ある他分野のアーティストが集い、各々の才能をお裾分けしてもらって作ったような、他で絶対見ることのできない、インディペンデントな作品だと思う。画面が映画的というよりもむしろ小劇場的な印象になってしまったことが、映画作家としては惜しいが、それも作品の運命なのだということで無理な舵展開はしていない。映画が時代や文化、風俗の記録であるならば、そういう意味でも現在の日本のインディペンデントの流れの一つの作品になっていると思う。どうぞよろしく!

◯チラシ制作が不慣れなせいで上映日の印刷を表と裏と間違えてしまった。チラシ表は黒マジックで消してある。正確な日程は裏に記してある—10月29日、11月5日、7日の計3回で一日一回上映(☆詳細はこちらのページでご覧を)。

2010年8月5日木曜日

結局、社会運動・・・?

ブログの放置現在にとどまらず~(笑)、下の文はずいぶん前に書いて下書きのまま放置されてた。

「先日友人といろいろと深く話し合っているうちにーむろん判ってはいたし、そのつもりではあったのだがー、結局、社会運動として一つ一つ認識したうえで、打ち立てていかなければ、今までやってきたことも、これからやっていくことも、なんの意味もない、という完全確実な現実に突き当たってしまった。
判ってはいたが、どうにもこうにも新左翼運動後生まれの僕らは(笑)、その踏ん切りが、カッコ悪過ぎてつかないところがあったし、活動がそれに伴っていれば、べつにイイじゃん!?とも思っていた。社会全体が、本質的な意識の高まりを重んじていたら、こんな初歩的な問題に悩むことなどなかったはずなのだが、権力は巧みに民衆を弄んできた。この四半世紀のあいだにオレ達は確実に「言葉」を失った。むろん、いまさらゲバ棒を持って突っ込もうとは思わない。大切なのは文化運動としての意識を高めることで、その心構えがあるかないかでこれからの未来の色彩が変わっていくはずだ。「言葉」は確実にゲバ棒よりも強く、社会的真理を広めていくことができる。
思っていることを、これからはもっと発信していかなければならない」

ここまで。
つまり、いわんとすることは今も変わってないな(笑)。

全共闘世代への不満と現若者への不満は殆ど同じくらいで、一方は威張り過ぎだと思うし、もう片方はゴマすりしすぎ。 文化運動は完全に止まっちまって、現若い世代のとりあえずの開拓はクラブムーヴメントと2ちゃんくらいなんではないかと、真面目に思ってしまう。あとはどこ覗いても先輩たちの警戒の目が行き届いている。俺たちの文化はできるだけ文字を小さくして迷路のような暗い怪しげな街の片隅を利用するほか行き場所がなくなったのか!? いまさら天皇制だか、反権力?ましてやインターナショナルだ?みんなすべて時代遅れで胡散臭い。そんなのもう判りきった記号論でしかないワケだ。それをやると勘違いした爺ィたちが喜ぶくらいで、それで点数稼いだって俺たちにはまったく、なんにも、関係ない。それに恐ろしいことにほぼ全ての領域がなんらかの組織の掌中に収められちまってる。もうやれることは新しい言葉か通貨でも開拓するしかないのかもしれないぜ(笑)。

こんなテンプレートされた世の中の何がオモシレェってのか!? 戦後最大の権力の功績は文化と生活を完全に掌握してテンプレート化したことに他ならない。この生活の平安そのものがエセ民主主義の権力構造であるってことを俺たちは気がつかなきゃいけない。奴らはこうすると便利だとか、ああすれば居心地が良いとかそんなことで俺たちを本質から目を逸らさせているワケだ。

2010年5月23日日曜日

出而足る

全く進まない円盤亀ブログ、であった(笑)。
ま、じつのところ誰に読んでもらってるか判らないし・・、純粋に日記という類のものにはならないだろうこのブログってのは、じつは一番「考え」めいたことをふらっと長めに書く媒介として自分にはある。 だが、ツイッターやってると、些細な鬱憤めいた日常フラグメントをはき捨てることによって、その細かな分子が観念化する前に役目を終え、内部蓄積される前に消去されてしまうようで、ブログ書きへの動機をさらになくしてしまうような気もする。これからは内的反応をリサイクル運用しなけりゃ、文字だけでなく表現までも脅かされてしまうのかな?とふと思ったりする、デジタルな今日この頃。。。(笑)

とりあえず、近況の報告
  • 高原英理氏との対談(3.18)  『吸血』の第一弾上映会の最終日はプレトークでの作家の高原英理さんとの対談だった。とても緊張したが、あがった文を読むとなかなか「対談」してて、こういうの初めての自分にとってはとても興奮する体験だった。もともとプロデューサーの永松さんからのご紹介で実現した対談だったが、その氏の著書である『ゴシックスピリット』の序文を読ませて頂いた際、共感する部分があった。またインディペンデント精神を理解し支えてくださる氏の暖かいお志や多彩な言葉に心から感謝すると同時にもっといろいろ話したかった、というのがホントのところ。 未来がどうなるか判らないが、もっと予算をつぎ込んでいつかまた吸血鬼モノをやりたいと思っている。実際、3、4つ企画がある。それらがまたどう内部変貌するか判らないが、そのときには是非また意見を仰ぎたい人物である。ま、その前に氏の書いた本をもっと読まないといけない。
  • 竹重氏の『吸血』評  舞踏批評家の竹重伸一さんが『トーキングヘッズ叢書No.42 ドールホリック』に短いが『吸血』の評を書いてくださった。とても理解してくれてる評のひとつと思う。ありがたい。 ちなみに吸血はまた上映やります。
  • ベケットカフェ『プレイ』  6月3日~6日に荻窪のミュージアム東京で上演されるベケットカフェに映像作家として参加している。考えてみると久しぶりの劇中映像で、脳内で忘れられていた箇所が徐々にゆっくりと回転し始めている、感じ。油断してる間に気がつくと上演日になっていた、なんてことがないようにしないと、ナ(笑)。
  • 仙川にて(5.21)  黒テントの『パビリオン』のゲネの記録撮影で仙川のせんがわ劇場へ。団員の横田桂子さんに7月のリーディングシアター『ディソシア』のための歌の作曲を依頼される。06年にイワトでやった『M退治』でのパフォーマンスを見てのことだという。久しぶりの作曲・・・さて、いかにやるか、またしても忘れ去られていた脳味噌を回転させないと。。。

2010年3月26日金曜日

雨。
まだまだ寒い。こう寒いと反対に夏はえらい暑くなんのかと、いまから心配になってくる。世の中、真偽のほどは如何ほどか、微妙な広まりをじわじわ展開している「温暖化」を思えば、単なるフォーマット伝染運動に過ぎないのかな?とふと思ったりもする。

時代のデジタル化が定着し始めた頃から自身の問題意識のひとつであるメディア論(批判)は現在も脳内の一部で活発に活動している。その意味での「問題視」は、当然各作品に内包されているワケだ。言葉でそれを言ったり、他者と議論を展開するはさほど難しいことではないが、サブリミナルじゃないけどそれを一種のメタファー的文法で映像化することは、観客へどのように影響されているのか? これから何年もたったあと己の作品はいかなるカタチで時代に埋め込まれるのか?そんなことを日常業務のなか、自問したりする。。

神秘主義であるべきか現実主義であるべきかという問題は常日頃脳内にあって、簡単に言えば感覚派か理論派かということなワケだけど、どちらも重要だ。バランスを取る舵取り役こそ自身であって、そいつは常にその葛藤から逃れらない状況に置かれているワケだ。片方をだけを信仰すると必ず躓いてしまう、この皮肉な世俗的法則は悪戯な悪魔の仕業に他ならない。信仰などは一切捨ててボンヤリ幻影のように目の前に立ちんぼする「今」と如何に組み合うか、それが肉感的であればあるほど、皮肉な虚構かもしれない「達成感」を味わえる。
いずれにせよ、こう考えるのはもともとが感覚派に作られているからであって、そいつがこの3次元にはなかなか納まらないから厄介なワケだ。。。(笑)

2次元的表現媒介である「映像」が3Dに本格的に取り組み始めている現状を見ると本来、映像というものが疑似体験を体現する媒介であることを改めて通観するワケだ。それになんの徳があろうか?という議論など資本家には関係ない。効果のほどは賛否両論に窺えるが、映画が映画からさらに遠のいているようにも思う。かといってそういうのが嫌いなわけじゃない。しかし、な、という感じ。

商業的画面と非商業的画面、または市場主義的画面と庶民的主義画面など、いろいろな言い方はあるが、3Dの普及に反してドキュメンタリーの普及を忘れてはならない。最後には内容が勝つ、ということをドキュメンタリーには達成してもらいたいものだ。坐・高円寺であった映画祭は結局、多忙で全て逃してしまった。個人的にはもし次回あるならワイズマンを一本でもいいからやってほしい。ほかには小川伸介アーカイヴとか、少し違った傾向でメカス、そしてソクーロフなんかもあったら、興奮するな。ま、第2回は必ず行けるように準備しようと思う。

2010年2月3日水曜日

メクルメク

これでもか、というほど人生とはいろいろな課題を投げかけてくる。
つまり、それらと如何に関わり、応対し、やがて芽生える自分なりのささやかな思想を抱けるかによって、その後の人生の経路も変わってくるものなのだ、といわんばかりに・・

などとは言いながらも、3月の完成試写会にむけて現在、『ファラヲ』に取り組んでいる。
『吸血』とはまたぜんぜん違う特殊効果の嵐で、かなり辟易しながらも、あがった素材を繋いでみるのはやはり楽しい。直しも多々あるけど。
『ファラヲ』がいわゆるXX賞的な意味合いで如何ほどのモノか、見当もつかない。むろんいまのところどこのコンペにも出す予定はない。そんなことは、どうでもいいワケだ(笑)。

最初はビデオモードで撮ろうと思ったほど、この作品はあまり映画映画していない。結局現場で24p(フィルムモード)で撮る事にしたんだけど、ビデオにする勇気がなかった(笑)。でも上がってみると不思議とビデオっぽく見える。 自作で一番映画的な画面があったのは、『ぽかぽか~』と『Nowhere』だと思う。まああと『ドライ』と、『リア王~』は、場面場面で、上の二本に比べればないけど。
『エコノミークラス』の画面はまったく映画的じゃない。
『吸血』は、意識しすぎてしまったかな?
もう一度『ぽかぽか~』みたいな作品作りたいな、と思うけど、もう無理なんだろうか。。。
あの夏のぼんやりした感じが、また撮りたい。脚本も殆どなくて、画だけで繋げて適当なセリフをつけて、だからってそれに「実験的な試み」みたいな気負いもなくてね、すごくイイ感じで作れた。そういう雰囲気が作品にも溢れてるしナ・・


立ち読みでロラン・バルトを捲ってみると、

『「絶望」 じつに演劇的言葉』

みたいな一行を見た。ウム、たしかにえらく演劇的言語かもしれない。ロラン・バルトがどういう意味で思ったかは判らないけど、じつに大袈裟な言葉だ。舞台の上でしか成立しそうにない(笑)。まあ日本語の「ゼツボー」でのハナシだけど。。。

『ファラヲ』が完成したら、次になにを撮るのか、いまなんとなくいろいろ浮かんではいる。商業脚本のものや、自主映画のもの、いろいろある。商業用の長編を書いてもなかなか映画化に漕ぎ着けないのは残念だけど、まあそれも仕方ないことだ。映画にしてくれなくても良き理解者的なプロデューサーに出会いたいものだが・・。 ま、いずれにせよこれからもいろいろ書き続ける。作品が増えるのは楽しいし、製本したのを並べるのが結構趣味だったりする。 ・・あと、できあがった紙をぱらぱら捲るのもなんともいえず優越感に浸れる(笑)。

「信用」という二文字がSF映画のバリヤーみたいに、無名人間とそうでない人間とのあいだに隔たっていて、そいつを突き破るのにえらい時間と労力がかかっている。商業への参加はその問題に尽きる。プロデューサーは売れるものを発案してから脚本家に声をかける。順序がある意味逆になっているのが現状だろう。
でもま、それもいい、オレはインディペンデントでも充分楽しんでるし、楽観的に構えようというのが少なくとも今の対策だ。メディア商品が売れなくなったこの時代に、これまでのやり方でやってもなかなか巧くいかないだろう。新しい表現の訴え方はまたアンダーグラウンドから発信されることになる、と信じるしかない。

←進化したファラヲのUFO

2010年1月22日金曜日

思考・アイデア・if

「邪宗門」高橋和巳

「冷血」カポーティ

「1Q84」村上春樹

「オリエンタリズム」エドワード・サイード

兼ねてから不思議と思っていたが、撮影していると、自分の思い描いてる天候に天気が変わってくれる。信じられないくらい、こちらの意のままの天候になってくれるのだ。 で、今日ぼんやりネットを見ていると、霊現象的なサイトでそういう天候を操れる人というのは、背後霊に自然霊がついているという。
これは、間違いなく自分もそれではないか、と・・・。

なぜなら一回だけならまだしも、ほぼ9割以上そうなってくれるからで、日ごとならまだしも、シーンごとに変わったことさえある。じつにありがたいことなのである。 が、不思議とひとたび作品完成、上映、となると土砂降りの大雨に降られる。困ったものだ。時間ギリギリで快晴になってくれたら良いものを、なかなかそこだけは思い通りになってくれない。
まだまだ修行が足りない?のだろうな(笑)

下にも書いたが、先日は愛知文化芸術センターの企画が通らず、選外落ち。そして今日は去年書いた長編映画の脚本も落選と、参った。が、どういうワケか気持ちがスッキリしてしまった。それよりも今後の自分を考えると不安になるも、ネットサーフィンしている間に新作のアイデアが浮かんだ。これは慎重に始めたい。
ま、とりあえず、まだ疲れが取れてないので、休むけど。
『ファラヲ』もあるしね。

2010年1月21日木曜日

いやはや

18日のお知らせで、ここ数ヶ月準備してきた愛知芸術文化センターの自主映像企画にまたしても選外となってしまった。昨秋は2年越しで結果を待っていた奈良前衛映画祭も落ち、さらについ先ほど、昨年執筆した長編映画脚本も、某コンペのサイトを覗きに行った際、落選の結果を知った。
ま、もともとオレ、コンペに縁がないし、あまり熱心に出さないほう。ただ、制作費300万の愛知企画の選外は、それなりにショックだった。だがさっき脚本の結果を知ったときは、さすがにもう何もあまり感じられなくなってしまったよ(笑)。
とにかく、もの覚えついた頃から認められないまっしぐら。一体この呪縛からいつ解放されるのか(笑)?もうこの年になると「一生」という言葉もチラつくが・・
ま、オレの仕事は3月までに『ファラヲ』を完成させること。そのあとは何も考えていない~なにもいまのところ浮かんでこない。また新作を撮るべきか、長編脚本を書くか。まあこれからもヘンな映画作るしかないってコトだな。 いまさらギョー界に縁があるわけでもないし、いやはや、まいったね。

しかし、、
・・っていうか、なぜだか気持ちがスッキリしている。
なんでだろう?
ついに、頭おかしくなったか(笑)!?
それともこれでお役目ご免か?
(笑)


近況の報告
  • 寺嶋上映会(1.11)  寺嶋真里さんの新作『アリスが落ちた穴の中』を下井草の岩本邸にて上映。会には大山慶さんもきてて愛知(!)のハナシを両者に聞いたり、みんなで作品の技術から内容的な話をして盛り上がる。パン、ケーキ、クッキーやらとしばし炭水化物責めにあったが(笑)、なんにせよ、完成して良かった良かった!
  • 結婚式(1.17)  中学時代の友人が結婚した。彼にはいまのバイトを紹介してもらったり、いろいろお世話になっていた。またなによりもオレとまったく違う平凡なタイプなのである。そんな彼の結婚は、こちらにもひとつの「節目」のようなものを感じさせる・・。式もとても朗らかで感じの良いものだった。なんにせよ、お幸せに!
  • 天ナス追撮(1.17)  その結婚式の数時間前、幡ヶ谷公民館で『ファラヲ』の追加撮影。犬儒派、天才ナカムラスペシャルは2年ぶりに『ファラヲ』の主人公、エーガカントク役になりきる(笑)。そして、3時間半はあっという間にすぎていった!
  • 信さん(1.18)  昨年11月、記録撮影で窺ったダンス01『Dance with Bach』初日に突如、大動脈解離で緊急入院なさった演出家の佐藤信さんがようやく復帰~ホームページ更新。当初はかなり心配したけど、ホントに良かった。

2010年1月4日月曜日

風邪、恒例


結局、相も変わらず、風邪ひいた。
毎年年末必ずかかる風邪(というかいままではインフルエンザだったのを風邪だと思い込んでいた)。 が、今回は幸運なこと(?)に本当に風邪だった。だが、この不況のせいあってか、どうにか無理矢理我慢しとおしてバイトを年末まで出、一日遅れての元旦掃除。やっぱ掃除すると気持ちがイイ。 しかしそのせいあってか、年末恒例なっていたブログ書き、まったく頭がまわらず諦める。 いまも書きモードではない風邪治りかけ脳で書いている始末。
ま、明日には治るだろう。で、明日は絶対初詣に行く。

☆(以下のパラグラフは昨年のいつか下書き状態になっていた一文。書き終える気力がなくなったので、とりあえずアップ)
・・・つまり、最近つくづく思うのは、そろそろ自分なりのエクスペリメンタルな旅を終えて、もっとオーディエンスを巻き込んでの創造行為に移行するべきだ・・、ということ。 映画をやりたいと思ったのは、自分自身も沢山のオーディエンスの一人であったからなワケだからだ。
 むろん、実験映画を否定するワケじゃない。だけど10数年コツコツとやってきてようやく、身に沁みて判ったのは、イメージフォーラムをはじめとした生粋な実験映画作家、またその分野の研究家たちと根本的に「思想」みたいなものが全く違う〜噛合っていない、という事実なんだな。
そう、たしかにオレ、べつに実験映画作家を志していたワケじゃない。ただ単純に映画実験することに興味があった。「こういうことやったらどうだろう?」と、ただそれだけだった。だが、最近ようやく判ったのは、べつにそういうことじゃないんだナ、ということ。それをここで説明するのはいろんな意味で様々な語弊を生むからやめておくが、なんにせよ、自分自身が近年稀に見るほどの大バカであったことを、ようやくここにきて実感している・・・
だがしかし、そうだと思うとすぐにその大バカこそ誕生以来自分に託された最大の任務なのである、とも思ってしまうワケだナ(笑)。
いずれにしろ、馬鹿は死んでも治らないワケで、仮に創造行為を如何に変えたと思っても、大した変化は伝わらないっていう、いつもの調子になるのかな(笑?)。

以上。
だからなんだという具合のものだが・・あ、やっぱ駄目だ、全然書く気になれない。
では皆さま新年明けましたので、おめでたう(寅)。