2005年9月24日土曜日

2046

昨夜3本のDVDを近所のビデオ屋で借りる。


『2046』 初見

『アンダーワールド』 初見

『JFK』 2回以上

まず『2046』を観た。
ウォン・カーウァイ特有の蒼さは以前に比べやや枯れが帯びてきた。だからといってけっして成熟したわけじゃない。蒼いまま枯れているワケだ。徹底した固定キャメラは見事な色彩と陰影で、以前のように全編手持ちの若さは見られない。撮影のクリストファー・ドイル(たぶん今回もだと思う)もだてにハリウッド映画をやってきたワケじゃないんだろう。リメイク版『サイコ』、そう悪くなかったものナ・・・。日本のテレビを見慣れてるジャニーズファンはこれを観ると混乱するだろう。木村拓也という存在の意味よりも彼の日本での知名度が優先になっているのが避けられないのは、木村自身よりも彼の取り巻きブレーンの価値観と香港スタッフ側のそれとの相違だろう。キムタクは、それでもやれるだけのことはやったはずだ。作品中軸はトニー・レオンとツァン・ツィーのエピソードにほぼ全精力を注いでいる(というよりも監督の視線がそこへ自然と行ってしまったんだろう)。作品の世界観はこれによって成立している。レスリー・チャンの無益な死をこの作品を見ながらも痛感する。
個人的には『欲望の翼』がベストだけど、あの作品もキャメラは固定が多かった。その後のほぼ全編手持ちの『恋する惑星』とか『天使の涙』『ブエノスアイレス』に比べると今回のほうがオレ好みなのかな?
よく香港のゴダールとかいわれたり、そう勘違いしてるヤツらがいるけど、まったく違う、ということだけは示しておかないと、映画史におけるA級犯罪行為になってしまうので、いちおうここでも念を押しておく。
だがそれでも女性の撮り方や性描写は上手だし、共感できるものはある。実際そういうのが濃い今回の作品や『欲望の翼』のほうが好きなのはそれ故だからだと思う。だが、それでも台湾のエドワード・ヤン、ホウ・シャウシェンのほうがはるかに映画作家として優れている、とオレは少なくとも絶対的に示しておく。むろん比べるのは馬鹿馬鹿しいことは判っているけど、そうしておかないとすべてを「アジア映画」として括ってしまおうとするあまりにも無神経な行為がこれからも続いていってしまうからだ。
それにしても映画そのものより痛感することは、この作品、そしてこの監督の主題にしている恋愛劇だ。結局ここに自分がいやがおうでも共鳴してしまうところがあり、それがなければ、『リリィ・シュッシュ~』からもうまったく見なくなってしまった岩井俊二と同じように新作ができても殆ど気にならなくなってしまう監督の一人なんだと思う。

2005年9月20日火曜日

は~ぁ

自転車でよく駒場近辺を回る。今日も気分が乗らないから下北沢まで行ってきた。パスタを注文し、いま読んでるコリン・ウィルソンの自伝『発端への旅』を読んだ。まだ読み終えてないけど、面白い。このまえ読んだウィルソンの本は『形而上学者の性日記』だった。アレイスター・クローリーをモデルにしたカンニガムという魔術師が出てきて作家自身を想起させる作家志望の主人公が出てくる、えらくお気に入りの小説だった。
ほかにウィルソンの『精神寄生虫』という小説もずいぶんまえに買ったけど、そういえばあっちはまだ読んでないや。
読みながら思ったのは、作家には大きく二つのタイプがいて、しばし強引に自分の説を書き綴る作家-トルストイが良い例-と、そうでない作家、たとえばドストエフスキーはあれだけ後世の作家に影響与えてるけど、どちらかというと自分の説を思索の闇に葬ってしまう-ハッキリいわないタイプだ。そういう例で言うとウィルソンは完璧前者。トルストイとの違いはウィルソンのほうが表現も現代的でドキュメント形式の著作も多いせいか写実的描写よりもfactにこだわる。
まあぜんぜん違う手の作家だけど、ハッキリ言うかいわないかという点で共通する。またいま書いてて思ったけど、現代的であるが故にウィルソンの方が小説になると空想家になる。

映画はときにその方法論において、ほかのどの芸術よりも庶民的空想表現を必至とする。そこがいわば映画の美徳かもしれない。しかしまた同時にそれは映画を「芸術」と認識される価値から離れさせ、「作家」たちを歯痒くさせる。

でもってオレの次の映画はいったい~・・?
ナ~んてね~

むをふぃとぅをつぅ

ウィルソンの本を読んでいると-彼の著作の殆どすべてが一人称の男という事が一因だけど-、むか~しロスに住んでいたときに見に行った知り合いのバンドの対バンだったヴォーカリストが脳裏に浮かぶ。そのヴォーカリストがウィルソンの著作を飾る主人公その人と被ってしまう-というよりもコリン・ウィルソンその人に。

その男、ヴォーカリストといっても風貌はロックミュージシャンのそれとはまったく相反する、アザラシみたいなでっぷり体形で何日も洗ってなさそうな脂ぎった坊ちゃんカットにふちのぶ厚いメガネをかけ、薄汚いヨレヨレTシャツを着たえらく図体のでかいオタクおやじだった。そんな風貌にもかかわらず(?)デスメタルよろしくのドンシャリギターを爆音でかき鳴らしなにやら小難しい歌詞を喚き散らしていた。当然ライヴを見に来ている女たちからは敬遠され、というよりも反感を買うばかりだった。やがて演奏が終わって次のバンドを待っていると、その男、当時オレが付き合っていた彼女をライヴハウスの薄暗闇のなかから凝視、そのまま一直線、すれ違いざまに彼女にぶち当たった。そして振り返るなり「excuse me」とわざとらしく一言。離れて一部始終を眺めていたオレは「コイツいま彼女とわざとぶち当たって気を向かせようとしたな」とすぐに判った。また「姑息にも当たった瞬間彼女の身体をチェックしやがった」とも判った。その姑息さに怒りが湧き上がったが、ここで難癖つけても負けることは承知のこと、そのまま気を落ち着かせたけど、「・・なるほど、ただの馬鹿にはできないワザ」でもあった。

どうやらその男の顔とウィルソンのメガネをかけた古い白黒写真が頭の中で交差しているみたいなのだ。
またじつをいうとオレ自身はその男の演奏をそれなりの解釈で聴いていた数少ないオーディエンスだった。じつにそれからさらに数ヶ月遡るころテレビでやっていた実験メタルのその音とその男の音は似ていた。

実験メタル・・、というネーミングかどうか判らないけど、デスメタルをアーティスティックにとらえた音楽。
そのテレビではギターを始めてまだ1日の人にドンシャリギターを持たせジャムったりいろんなことをやっていた。ちょうどニルヴァーナが出始めた頃、オルタネイティヴ系でえらくエクスペリメンタルなロックがいろいろあった。MTVでも良く流れてて、アタマで理解してノイズで乗る、みたいな変わった音楽が一瞬だったけど、シーンにあった。もうバンド名とかはすっかり忘れたけど。・・なんにせよ、そういう中から My Bloody Valentine みたいなスゲーバンドがでてきたと思う。

ハナシをもっとそらすと、昔クラブエイジアで一緒だった某プロデューサーに
「結局音楽ってトーンじゃネーかな?」とふったら、
30秒くらい黙って「いや、そんなことない」
とマジで答えられたことがあった(その後その友人はエーベックスに就職して元SPEEDのhiroのA&Rになった)。
ドラマツゥルギーがシェイクスピア以降革新的な発展を遂げてないのと同じような意味で音楽も不協和音とか12音階とかあるけど、より一般を対象としたとき結局それほどの発展はない。やはり変わっているのはトーンくらいじゃないんだろうか?これはほかにも言ってる人いると思うけど、自論で「録音」が近代音楽の最大の革命だと思う。そこから発展して音楽の幅も広がったけど、結局のところはトーンが変わっただけ。旋律の革新的発展はそうない。
ドラマトゥルギーと旋律は同じ方針、または同じ生理的ルールを持っていると思う。
みんなそれが馴染めるわけだ。

リズムもあるけどね。
・・・リズムとモンタージュ

まあ、とにかく、あの男のことは忘れられない(笑)。
むろんウィルソンがそんなこと聞いたら怒るだろうし、こっちとしてもそんなこと忘れたいが・・
ただ、なんというかそのどこかけっして馬鹿ではない・・というか物知りで持説自論を持った気質が二人を共通させるわけだが・・
う~ん・・。

ま、いいや。
長くなっちゃった。

2005年9月17日土曜日

うぴーぽ

長いあいだパスワードを忘れたためなかなかブログに投稿できなかった。
そのあいだに黒澤コンペにノミネートされ、あえなく受賞を逃したり、そのあと打ち上げしたり、カラオケ行ったり、総選挙になったり、自民党圧勝したり、はやぶさが小惑星の軌道に乗ったり、う~ん、いろいろあった。

んで、今日は相変わらず某DVD編集作業と10月撮影予定だった新作 『ひよりみの神々』(仮題) の撮影延期のお知らせメールをキャスト&スタッフに送った。残念なお知らせだったけど、やはりいま動くのはちょっと忙しない感じ。苦い判断だけど、適切だったと思っている。とにかく金がなさ過ぎる。
かわりに2本の映画企画の準備や 『ドライ』 年内上映の準備に徹するつもりだ。
そういうわけで年内の自主映像制作は一切中止にすることに決めた。

皆さん本当に申しわけありません!
必ず良い作品を作ります!
是非そのときも協力してください!

はァ~なえてしまう・・(みんなに申しわけない・・)

そう、それでつい3、4日前判明したのは、いままであまり気にもしなかったホソキカズコの占いを遊び半分で診てみたら、意外とあたってる。くそっ!今年はどうやら「中殺界」らしい。ウ~ム。んで、大殺界はというと97年、98年、99年の3年間だった。これもたしかにすご~くあたってる。参ったね(笑)。
ちなみに来年からの3年間すごくいいらしい。それが終わるとまた3年間大殺界(笑)。

それから、昨晩自転車で駒場東大前界わいをぐるぐる回ってたら、偶然、照明の佐瀬さんに出くわした。佐瀬さんはCM、映画をやってる照明監督で2000年の映画『インフィニティー』のときお会いした、すごく人間味ある照明監督さんで駒場東大前に住んでるらしいことは知ってたけど、えらくご近所だったことに驚いた。くら~い夜道をコンビニ袋さげて歩く見たことある後姿を自転車でそろ~り近寄ってみるとやっぱり佐瀬さんだった!相変わらずのカンジで、いつか一緒に仕事できたらイイナ~、と思った!



集合写真:マリオン朝日ホールロビーにて
黒澤コンペに来てくれたスタッフ&キャスト&お客さま(全員ではありませんが・・)

ま~そんなとこ?